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僕のSARA

前回からの続きです。

大家族になった僕らはやたら忙しくなった。
ミーチャ達にやる餌やミルクの消費量も劇的に伸び、
家中がよごれる頻度も増したので、
僕も週に3、4回は掃除をする羽目になった…。
ミーチャとその子供達はそんなことにおかまいなしに
食べては飲み、飲んでは汚した。

そんなこんなで、僕やミーチャが居候を続けていた
3年と数カ月の間、クリスティーナとマウロには
子供ができなかった。
前にも書いたが、僕の部屋と彼らの寝室は
べったりと隣り合わせで、音は筒抜けだった。
子供ができない原因は、彼らの体質もさる事ながら、
きっと僕に気兼ねをして彼らのナイトライフに
かなりの支障をきたしていたであろうことは
勿論明白だった。
時々クリスティーナは、ベトナムの孤児を引き取って
育てるというシステムを推奨しているボランティア団体に、
里親として志願しようかなどと
真剣に話していたものだった。
そんな話になるたび、
僕は所在なくうつむいていたものだが、心の中では
『やはり僕が出て行くべきなんだろうか』
という問いが鳴り響いていた。
でも、もし仮にそんなことを彼らに提案しても、
まともに取り合ってもらえないことは明らかだったし、
だからといって黙って出て行ったりしようものなら、
彼らの事だからあちこち探し回って大騒ぎになるのは
目に見えている。
「彼らは僕の事を本当の家族だと思ってくれているんだ…。」
解っているが故に、僕にはどうすることもできなかった。
結局何も切り出せないまま時は過ぎ、
僕はウィーンでの世界コンクールに優勝し、
それもあって音楽院始まって以来の最高得点で卒業した。
校長はじめ周囲の人々は、
僕に講師として音楽院に残ることを強く勧めたが、
僕にはどうしてもやり遂げなくてはならない
ことがあったので、東京へ帰ることにした。

マウロとクリスティーナ、
それにミーチャ達との別れの時が来た。
クリスティーナは僕が出発する3日程前から
あんまり僕と会話をしなくなった。
僕にはそれが何故か痛いほど良くわかった。
(ちょっとでも何か言おうとすると、
彼女は涙が溢れて止まらなくなっちゃうから…。)
ミーチャと子供達はそんな事を知ってか知らずか、
相変わらず僕のベッドをねぐらにしていた…。
出発の朝、
苦楽を共にした6匹の盟友達全員を抱きしめて、
キスをした。
「お前達のこと…忘れない…。
…なーに、またすぐ帰ってくるさ。」
後ろでクリスティーナがグシュンと鼻をすすった。
彼女はもうずうっと泣きっぱなしだ…。
クリスティーナの涙をそれ以上誘わないように、
僕はミーチャ達にわざと日本語でさよならを言った。
「さよなら…ミーチャ、子供達、…元気で。
又逢おう!」
(これがミーチャとの最後の別れだった…。
彼女はこの2ヶ月程後にふらっと家を出ていったまま、
二度と戻って来なかったらしい。
まさか、僕の後を追って長旅に出た…………
筈もないか………。)

ヴェネツィア空港までの40分間、
僕ら3人は本当に無口だった…。
僕は、長い間彼らに本当に不自由な思いをさせて
すまないと思っていることや、彼らの助けがなかったら
決してこの長い留学生活に最後まで耐えられなかっただろう
ことや、何よりも彼ら夫婦のことが大好きで、
できればここを離れたくないということを伝えようとして、
あれこれと言葉を探した。
…が、それらは全く言葉にならなかった。
まるで、何か一言でも声を発すれば、
全てが壊れてしまうとでもいうように、
見事な沈黙が僕らを包んでいた…。
マウロのシトロエンは滑るようにラグーナ沿いの道を走り、
やがて朝もやのヴェネツィア国際空港に着いた。
「御両親によろしくね。」マウロが言った。
「うん………。あ、あの………」
「なんだ?」
「…いや。いろいろ本当にありがとう…」
「何言ってるんだい、こちらこそさ。」
「それからね、…あの……。」
「ミーチャ達のことなら心配するなよ、
俺達がちゃんと世話するから。」
「あ、ああ………。…ち、違うんだ、…あ、あのね……」
「何だよコバ?」
「あのね…、あの…はやく………
子供ができることを祈ってる…。」
僕は言ってからなんか妙にバツが悪くて、
ちょっと赤面した…。
マウロの後ろでグショグショになったハンカチで
更に鼻をかんでいたクリスティーナが、
いきなり僕をギューッと抱きしめた。

「ああ。わかった…がんばってみるさ。」
マウロはニコッと笑ってウィンクしてみせた。
全てを察してくれているような優しい笑顔だった…。

僕の乗った飛行機は、一路東京へ向かった。
長かったヴェネツィアでの留学生活のことが次から次へと
思い出されて、僕はその機中で一睡もすることはなかった…。

それから1年程して、マウロ&クリスティーナから
一通の手紙が届いた。
僕は、その封筒を見た瞬間に確信した。
「これはおめでたいニュースに違いない!」と。
はたして、クリスティーナのお腹に赤ちゃんが宿り、
あと数カ月でおめでただという手紙の内容に、
僕は飛び上がって喜んだ。
「やったね!よーし、やったやった!!
よーーーし、よしよし!!」

その時僕は決めたんだ。
「この子に曲をプレゼントしよう…。」
そして、暫くしてクリスティーナは元気な女の子を生み、
2人はその子にSARAという名前をつけた。

………そして、僕はまだ見ぬ彼女のために
『SARA』を書いた。
僕の『SARA』は、あまりに真直ぐにポップ過ぎて、
その頃もっと前衛よりの音楽ばかり作り、演奏していた
僕の芸風に合わず、その後何年か演奏されることなく
寝かせられていたけど、それから数年後に二子玉川の
インコントロという店で、僕の新たなポップ路線の
プロジェクトとして立ち上げたレスターテによって
初演され、めでたく僕のメジャー初アルバムである
「シチリアの月の下で」に収録された。
始めてこのアルバムをヴェネツィアのSARA本人に
届けた時、彼女はもう8才になっていた。
ちょっとシャイで、ちょっとオシャマで、
キュートな娘だった。
僕は、彼女が僕の『SARA』を気に入ってくれるかどうか、
ちょっぴり不安だった。
が、彼女はアルバムに収録された僕の『SARA』を聴くと、
ひとこと「好きよ。」って言ってくれた。
僕は、そのちょっと素っ気無いリアクションに
少々不満だったけど、それが彼女独特の照れなんだと
いうことを翌日知ることになる。
翌朝、クリスティーナからの
「cobaに逢いたいというSARAの同級生が
10人程家に来てるのよ!ちょっと早く来て頂戴!!
coba!」
という電話で、ホテルの部屋で曝睡していた僕は
叩き起こされた。
慌ててそのホテルからレンタカーを飛ばして
彼女の家に着くと、ガヤガヤ、キャーキャー、
凄くうるさい。女の子だらけだ!!
「一体どうしたの?クリスティーナ!」と、僕。
「あのね、昨日cobaが帰った後にね、SARAったら
同級生みんなに電話でcobaの曲を聴かせちゃって、
自分の為にcobaが作ってくれた曲だっていって
自慢したのよぉ。そしたら、皆cobaって誰だ?
私達にも書いてくれって…。ごめんねぇcoba…。」
「はぁ………………。」

僕は腹をくくって叫んだ。
「よーし、みんな一列に並べェ!!!
お兄さんが曲を書いてあげるよぉ!!!」
「キャーキャーキャーキャーキャー!!!」

僕はSARAと、彼女を抱っこしているマウロに、
パチッとウィンクをしてみせた…。
Rコメント(2)

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