公演情報
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■coba

出演:coba(acc)/天野清継(gt)/バカボン鈴木(bs)/天倉正敬(drs)

2017/1/15(日)
新潟市音楽文化会館 (新潟県)
[一般発売]
2016/11/5(土)10:00〜

2017/1/21(土)
日本橋三井ホール (東京都)
[一般発売]
2016/10/8(土)10:00〜

2017/2/8(水)
BIGCAT (大阪府)
[一般発売]
2016/10/8(土)10:00〜

2017/2/10(金)
広島クラブクアトロ (広島県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/2/17(金)
高知市文化プラザ かるぽーと 小ホール (高知県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/2/18(土)
高松オリーブホール (香川県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/2/19(日)
W studio RED (愛媛県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/3/18(土)
宮崎 WEATHER KING (宮崎県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/19(日)
鹿児島CAPARVOホール (鹿児島県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/20(月・祝)
熊本B.9 V1 (熊本県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/24(金)
大分DRUM Be-0 (大分県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/25(土)
電気ビル みらいホール (福岡県)
[先着先行]
2016/11/7(月)12:00〜〜
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/6/23(金)
cube garden (北海道)
[一般発売]
2016/10/30(日)10:00〜

2017/6/24(土)
小樽 GOLD STONE (北海道)
[一般発売]
2016/10/30(日)10:00〜

■音楽劇 大悪名 The Badboys Last Stand!

2017/5/24(水)
海老名市文化会館 大ホール (神奈川県)
[一般発売]
2017/2/4(土)10:00〜
演出/マキノノゾミ
音楽/coba
振付/南流石
「悪名/原作:今東光 脚色:依田義賢」より
出演:沢田研二/南野陽子/いしのようこ/土居裕子/那海
茂山宗彦/野田晋市/若杉宏二/田中隆三/冨岡弘/有馬自由/すわ親治/蟷螂襲/片岡正二郎/森下じんせい/木下政治/細見大輔
東風万智子/松永玲子/小椋あずき/山口智恵/宴堂裕子/千田訓子/小飯塚貴世江/土田早苗(特別出演)/山崎イサオ/加納幸和
演奏:coba/柴山和彦/久保祐子/古川淑惠/熊谷太輔


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CD/DVD情報
New!
mondo_coba_jacket.jpg「MONDO coba」
【CD album】
2012.1.25
2枚組全20曲
AVCD-38402〜3
ココロ燃える音がある!
20年目のcoba、解禁。

「旅する少年 stay gold」
【CD album】
2010.11.10
BOSC-0002
このアルバムを持って
旅に出よう!

「僕のエレキュート」
【CD album】
2008.11.12
BOSC-0001
エレガントでキュート
アコーディオンが可愛くしみる!

「groovy accordion night tour 2006 in Europe」
【DVD】
2007.3.07
VIBL-376
ヨーロッパを踊らせたcoba真骨頂のライヴ映像作品

「Boy」
【CD】
2006.10.25
VICL-62162
この男は一体どこまでやるのか!
まだ誰も聴いたことのない未来の音がここにある。

「super mania coba」
【best album】
now on sale
TOCT-26063-4
cobaはいつも新しすぎる!
デビュー15周年のスーパーベスト

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「cobaさんは物凄く器用な人なのだろう
 と思っていました。」
ごく最近、ある人にこんなことを言われた。

まあ何も知らずに僕の経歴のみを読んで
そう感じるのも無理はないと思う。
さも挫折無く、目標に向かって一つ一つを確実に
クリアしてきたように見えるのだろう。
しかも音楽のみならず、
番組司会や舞台のプロデュースまで手掛ける姿は、
傍から見たら完全にマルチクリエイターそのものだ。

マルチクリエイター。
なんとおぞましい言葉だろう。
バブルの時代にさんざんもてはやされたこの言葉は
今や、何もできない奴の代名詞だ。

確かにマルチという言葉の響きは、
時代と共に大きく変容してきた。
「何でもできる」ことが偉かった80年代から、
「これができる」ことを求められた90年代へ。
そして現在は「これしかできない」ことが
何よりも素敵な時代だ。

21世紀に於いて「マルチ」という語は
「何でもできる」から
「何をやらせてもそこそこだ」
或いは
「何一つまともに出来ない」ものを表現する語に転落した。

年功序列、終身雇用の崩壊は、組織神話の崩壊でもあった。
更にこれは、組織こそが経済、文化を作り出すものである
という既成概念への盲信との決別でもあった。

日本人は今、インディペンデンター(個人)としての
真価を問われている。
現在は正に個人の能力、才能、センス、趣味、
そして何よりも倫理観を問われる時代であると感じる。

そういった時代背景を反映するように
街には自分を磨く為の商品が溢れる。
趣味の教室やパソコン教室、語学教室などの
一芸に秀でる為の場所は予約待ちで一杯だ。
スポーツクラブ然り、美容室然り、ネイルサロン然りだ。
皆、一様に自分を磨くことに必死な風に見える。

では、
組織はもはや日本人にとって意味を持たなくなったのか?
そんな筈はない。
健全なモラリティを持つ組織の選択こそが
健康的な人類の道を創造する。

以前から色々な場所で述べている通り、
どんなに巨大な組織でも、それを実際に動かす人間は
たった3人であったりする。
一人のジャーナリストの書いた一冊で、
国がひとつ出来上がってしまうことだってあった。

成熟した個人があって初めて
成熟したソサエティが存在しうる。
ニュークリアウェポンの最終発射ボタンは一つではないか。
つまり、人類という巨大組織の未来を占うのは、
たったひとりの人間の指(ツール)だったりするということ。

さて、モラリティという難問だが、
自分の中に正解を持たない以上、
偉そうに書ける訳もないが…。

ただひとつ確かなのは、自分を磨くという作業を通して
自分のモラルを発見しようとすることは有効だと思われる。
そこには挫折と真摯に向き合う、
自分自身へのひたむきさや誠実さが要求されるからだ。

人は自分の弱さを知ることで、人に優しくなれる。

さて、マルチクリエイターの話だが…
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴォリス・ビアン、平賀源内
といった過去に於ける偉大なる
「マルチなクリエイター」達は
僕の忌み嫌う「マルチクリエイター」と
何処が決定的に違うのか?

彼らがやったことは「何でもできる」ことではない。
明らかに「これしかできない」ことだった。

何が違うのか?

僕の嫌いな「マルチクリエイター」達には特徴がある。
彼らは「香り」が大好きだ。
そしてこの「香り」をすぐに自分の物にしてしまう。
ある仕事の依頼があった時、彼らはすぐにこの「香り」を
使って「本物の香りのする偽物」を作り出す。

人の真似をするな、ということではない。
アートとは物真似の賜物であり、
それをしなければ成長しない。

僕の言いたいのはそういうことではない。
「好きなことを好きなようにやってみろ」と言われて
「さて、俺は何が好きだったんだっけ?」と
頭をひねるような人生はまっぴらだということだ。

日本人は弁当箱に物を詰めることにかけては天下一だ。
が、ひとたび弁当箱を取り上げられて
「昼御飯を自由な発想で創造しなさい」と言われると、
何をどう作っていいのか解らなくなる。
…そういう奴等がとても多かった。

教育制度、年功序列制、終身雇用、組織への盲信、等などの
功罪だとも言えるかも知れない。
だからこそ今は良い音楽を聴いて、語学を勉強して、
綺麗になって自分を磨いて、
強い個性と高い能力を持った人間を目指す人が
増えたかも知れない…。

が、そうなっても「本物の香りのする偽物」は
一向に減らない。
それどころか、個人の能力が高まれば高まる程、
それらは更に巧妙になって行く。
消費者の目が肥えれば肥える程、偽物に於ける本物の香りも
どんどん巧妙になる。

が…偽物として作られた物は最後まで偽物だ。

そういったマルチクリエイターの類いが、時々勘違いをして
個展を開いたり、アルバムを作ったりする。
やる方も大変だろうが、味わう方はもっと大変だと思う…。

僕の尊敬する、過去に於けるマルチなクリエイター達は、
自らが心の底からやりたいと感じたことだけを
自分の語法で行った。
まるで蝶のように、
自分達の好みの花の密だけを吸って歩いた。

つまり、どんなに広くのエリアにまたがっていようとも、
そこに存在するルーツとモチーフは
たった一つだったわけだ。
例えば蝶が美しい花のみを求めて跳ぶように……。

方法論の枝は多い方が良い。
そこから生える知識の葉が沢山繁るから。
しかし、それを支える幹とその下を支える根(ルーツ)が
無ければ(あるいは病んでいれば)枝も葉も枯れてしまう。

そして更に言うなら、もし根(ルーツ)が偽物だったら、
当然枝も葉も、
そして花も実も、全て偽物だ。

現代は偽物が限り無く本物に近づく時代だ。

コンビニは昔ママゴトで作った箱庭を彷佛とさせる。
その名の通り、何でも揃う。

限り無く本物に近い物達が…。

達人たちの店の名が書かれたカップ麺、
女性の好みに合わせ、日本人用にアレンジされた
ティラミス、パンナコッタ…。
殆ど必ず香料とビタミンCが添加された、
(しかしとっても美味な)ペットボトルのお茶…。

僕はコンビニの利用者のひとりだ。
コンビニが出来て、なんだか街が明るくなって、
ウキウキして、良くなったとも思う。

しかし、利便性という美麗字句でツール(テクノロジー)
の使い方を過っていないと断言できるだろうか…。

箱庭のバーチャル世界に自己を埋没する日常に
危惧を覚え、自ら警鐘を鳴らすべき時ではないだろうか。

自分の誕生日に書く記念すべき文章なのに、
随分と論理が飛躍してしまった。
時差の関係か!?
2002-04-29 10:00 この記事だけ表示   |  コメント 3
ツールを用いるやり方にはふた通りある。
本来の目的通り認識するやり方と、
何らかの理由でそこを逸脱するやり方。
後者は個人の成熟度合いと大いに関係性を持つ。
ナノテクノロジーが力学を変えるように、本来別の発見から
人類に思わぬ福音を誘引することは珍しくない。
そしてそのまた逆も然りだ。

90年代にロンドンのテクノの連中は
日本人の作った機材を使って
様々な新しい音楽を発明した。
サンプラーと呼ばれる機材が登場してから久しいが、
これの使い方を成熟させたのは彼らだ。
日本人のアーティストが、サンプラーという機械を
音をサンプルし再生する機材として認識し、喜んでいた頃、

彼らの一部は、これをタイムマシンとして認識した。
それまで単一であった音像の時制を、
劇的にぶっ壊し、ぐちゃぐちゃにしてくれた。
彼らの音楽では
50年代のニューヨークのジャズクラブのアトモスフェアと
80年頃のバリ島のパーカッションパフォーマンスと
90年代のスタジオの音像が、平気で一曲に同居した。

最初僕はそのめちゃくちゃさにクラクラしたものだが、
そのうち当たり前になっていった。
彼らの発見から、音像という概念は
時制や位置やサイズや空気感ではなく、
精神性なのだということを僕は発見した。

同じような理由から、僕は一時期ベースラインというものを
とても邪魔に感じた時期があった。
つまり、それまで音楽の偉大な道しるべであったそれに
誘引される類いの音楽を、やたら古臭く感じ始めたのだ。
(ある意味それは今でも続いている。)
でもその時代を通して、僕はベースラインと、
より親密になることができた。

以前ゴールディというドラムンベースのアーティストと
ヨーロッパとアメリカを3ヶ月ほど一緒に旅した。
彼はステージパフォーマンスでキーボードを使用するが、
それをピアノ鍵盤として認識してはいない。
まさしく本来のキーボードとしての認識だ。
つまり彼にとっての鍵盤は単なるスイッチであり、
黒鍵と白鍵がクロマチックに並んでいる必然性はない。

これは僕を愕然とさせた。
三歳から鍵盤を鍵盤として理解している僕からは、
この発想は永遠に生まれてこない。
これはジョー・ザビヌルが
左右逆のキーボードを演奏したり、
キース・エマーソンがピアノを裏側から弾いたりするのとは
根本的に違うのだ。

ゴールディにとってドの鍵盤はドである必要がない。
すなわちドの鍵盤を押して、
鶏が啼いても、ミの音が出ても良い。
更に言うならばコーヒーが沸いても、
爆弾が爆発しても良いわけだ…。

ゴールディのキーボードのドの鍵盤に託された人類の未来…
ある意味ベートーベンの、運命が戸を叩く4つの音よりも
遥かに説得力を感じるではないか。

サンプリングマシンを、時代を自由に散歩し、
それらを自在に再構築する道具と定義付け、
認識すれば、アートにまたひとつ大きな
メタモルフォーゼが出現するかもしれない。
2002-04-24 10:00 この記事だけ表示   |  コメント 2
そもそもアートをどう定義付けるかは
固体の生命活動を定義付けることと同格の作業だ。

感性とは、営みの中で受ける刺激が
個々のDNAに取り込まれた記憶によってデフォルメされ、
固体を通して再生される現象に他ならない。

先日、ある対談セミナーで「指は霊感の源なり」
というストラビンスキーの名言を引用した。
この言葉の意味合いはかなり深遠だ。

「指と音符の間に何があるか?」という
一見哲学的だが、実は少々赤面してしまう程に
子供っぽいストレートさに満ちたこのお題に照れたのは
僕だけではあるまい…。

そんな訳でこのセミナーで語るのには
少々勇気が必要な僕だったが…
ある参加者による「そこにあるのは未来?」
という御意見に、ちょっと相当照れながらもハッとした。

人の未来…
なんと気が重くなる言葉だろう。

21世紀の前半に最も必要なことは
人間そのものが「アンマテュア」から「マテュア」へと
移行することであるということは、前世紀からの僕が
其処此処で語っていることだ。

人が自ら創り出した技術、すなわち道具(ツール)と
不健康な関係にある時、悲劇が起こる。

クリエイションには必ず目的がある。
椅子は座る為にクリエイトされたツールであり、
プロレスでレスラーを殴る為の物ではない。
金属バットは飛距離を追求するツールであり、
親を殺すための道具ではない。
武器は自然環境の中で自活するためのツールであり、
仲間割れで活用されるべきものでも、ましてや中学生が
弱い自分を武装したり相手を威嚇する為のツールではない。

人間は神に帰属するものとして
神御自身によって創造されたと聖書は定義する。
従って人間が神から離れる時、それは罪として定義される。
そもそも罪という語の語源は「的外れ」という
意味合いだという。
つまり人間というツールが
神のクリエイションの目的から外れ、
「的外れ」となる時「罪」が生ずるという訳だ。

宗教の話では無い。
目的にそぐわない形でツールが利用された時に
起こる悲劇の話だ。

ではこの「的外れ」は何故起こるのか?
それこそ人間のアンマテュアさ(未熟さ)に他ならない。

思えば何時の世も人類は自らのクリエイティビティと
マテュリティのアンバランスさに翻弄され続けてきた。
いや!それどころかマテュリティがクリエイティビティに
勝ったためしがない。
人間は人間になった瞬間から現在までずっと、
その想像力を自らの身勝手さの為に使って来たと言っても
過言では無いのではないか?

人間の未熟さが故に起きた悲劇は数知れないが、
ツール或いはテクノロジーが進歩、進化すればする程
悲劇の度合いは劇的に増大することはいうまでもない。

ストラビンスキーのこの言葉を
単に詩的で饒舌な人間賛歌と捕らえることもできるが、
人間が指というツールに対して持つ根源的な矛盾、
すなわちヒューマニティとテクノロジーとの関係の
考察だとしたら……

神が人間に贈与された指という最高の可能性(ツール)を
一体どのように用いるか……

ヴェネツィアに眠るこの大作曲家は黙して語らない。
2002-04-23 10:00 この記事だけ表示   |  コメント 1