公演情報
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■coba

出演:coba(acc)/天野清継(gt)/バカボン鈴木(bs)/天倉正敬(drs)

2017/1/15(日)
新潟市音楽文化会館 (新潟県)
[一般発売]
2016/11/5(土)10:00〜

2017/1/21(土)
日本橋三井ホール (東京都)
[一般発売]
2016/10/8(土)10:00〜

2017/2/8(水)
BIGCAT (大阪府)
[一般発売]
2016/10/8(土)10:00〜

2017/2/10(金)
広島クラブクアトロ (広島県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/2/17(金)
高知市文化プラザ かるぽーと 小ホール (高知県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/2/18(土)
高松オリーブホール (香川県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/2/19(日)
W studio RED (愛媛県)
[一般発売]
2016/10/15(土)10:00〜

2017/3/18(土)
宮崎 WEATHER KING (宮崎県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/19(日)
鹿児島CAPARVOホール (鹿児島県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/20(月・祝)
熊本B.9 V1 (熊本県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/24(金)
大分DRUM Be-0 (大分県)
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/3/25(土)
電気ビル みらいホール (福岡県)
[先着先行]
2016/11/7(月)12:00〜〜
[一般発売]
2016/11/19(土)10:00〜

2017/6/23(金)
cube garden (北海道)
[一般発売]
2016/10/30(日)10:00〜

2017/6/24(土)
小樽 GOLD STONE (北海道)
[一般発売]
2016/10/30(日)10:00〜

■音楽劇 大悪名 The Badboys Last Stand!

2017/5/24(水)
海老名市文化会館 大ホール (神奈川県)
[一般発売]
2017/2/4(土)10:00〜
演出/マキノノゾミ
音楽/coba
振付/南流石
「悪名/原作:今東光 脚色:依田義賢」より
出演:沢田研二/南野陽子/いしのようこ/土居裕子/那海
茂山宗彦/野田晋市/若杉宏二/田中隆三/冨岡弘/有馬自由/すわ親治/蟷螂襲/片岡正二郎/森下じんせい/木下政治/細見大輔
東風万智子/松永玲子/小椋あずき/山口智恵/宴堂裕子/千田訓子/小飯塚貴世江/土田早苗(特別出演)/山崎イサオ/加納幸和
演奏:coba/柴山和彦/久保祐子/古川淑惠/熊谷太輔


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CD/DVD情報
New!
mondo_coba_jacket.jpg「MONDO coba」
【CD album】
2012.1.25
2枚組全20曲
AVCD-38402〜3
ココロ燃える音がある!
20年目のcoba、解禁。

「旅する少年 stay gold」
【CD album】
2010.11.10
BOSC-0002
このアルバムを持って
旅に出よう!

「僕のエレキュート」
【CD album】
2008.11.12
BOSC-0001
エレガントでキュート
アコーディオンが可愛くしみる!

「groovy accordion night tour 2006 in Europe」
【DVD】
2007.3.07
VIBL-376
ヨーロッパを踊らせたcoba真骨頂のライヴ映像作品

「Boy」
【CD】
2006.10.25
VICL-62162
この男は一体どこまでやるのか!
まだ誰も聴いたことのない未来の音がここにある。

「super mania coba」
【best album】
now on sale
TOCT-26063-4
cobaはいつも新しすぎる!
デビュー15周年のスーパーベスト

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iTunesで試聴できます。
※iTunes storeにリンク

コメントについて
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先日から僕のとても大切な友人がイタリアから
来日しているんだ。
クリスティーナとマウロのふたり。
僕がmirano(veneziaから30分の町)の音楽院に留学中に
下宿させてくれていた夫婦なんだ。
クリスティーナは僕の母校LUCIANO FANCELLI音楽院の
幼児科の先生。
マウロは空手の先生で、
miranoから約7キロ程の町mira
(ここveneto州にはmiranoやmarano、merano、mira、
なんていう地名がやたら多いんだ。因にガラス細工で有名な
murano島や僕も地中海三部作でジャケ写を撮ったburano島など
もそう。)で大きな空手道場を経営してるんだ。
で、彼らの間に生まれた子供がサラ。
そう、僕のファーストアルバム「シチリアの月の下で」の
1曲目、SARAの曲名になった娘。
もういろんなところで話しているから知ってる人も多いと
思うけど、彼女が誕生するのには僕の存在が
結構ポイントになったんだ…。

音楽院に入学してひと月ほど経ったある日、
校長室に呼ばれた僕に校長は意外な提案をしたんだ。
曰く…、
「coba、君に部屋を提供しても良いって言ってくれてる
先生がいるんだが…どうだ?」

それまで1泊1300円程の安ペンションに泊まっていて、
共同のシャワーの不潔さにほとほと嫌気がさして来ていた
僕には、願ってもない話だった。
僕は一もニもなくこの話にとびついたものだった。
かくして次の日からこの夫婦と僕の
愛しくも滑稽な共同生活が始まった。

彼らは結婚してまだ2年目…。
そんな甘い時期になぜ居候を住まわせたりしたのか、
僕はいまだに理解できない。
ただはじめての夜、マウロが日本語で書かれた空手の本を
僕の部屋に何冊も持ってきて、しきりに解説を求められて、
「えっ?何これ、ギブあんどテイクってこと!?」
なんて思ったのを憶えてる。
最初彼らの家から学校までを、
僕はクリスティーナのお父さんの使い古した自転車で
30分かけて通学していた。でも暫くして、
さすがにちょっと辛くなってきた僕は、
ある日友人のパオロ君から50ccのバイクを中古で
譲ってもらった。
(このバイクが「走れパオリーノ」の名の由来なんだ。)
パオロから買ったパオリーノ(僕が勝手につけた名。
小パオロ君という意。)に乗って僕は毎日学校に通った。
泣けちゃうほどになつかしい日々だ…。

ヴェネツィアの冬は寒く、毎日がどんよりとした曇り空。
朝晩は霧が全てを覆ってしまう。
パオリーノは雨や霧にめっぽう弱く、すぐに立ち往生した。
しかもそれは全く場所というものを選ばなかった。
通学途中の、絶対に他の車なんか通りかかりっこない
夜中の葡萄畑のまん中で、あるいは
雷鳴轟く大雨の延々と続く早朝の一本道で、
パオリーノは何の前触れも遠慮もなく、気を失った。
たったひとりの通学途中のパートナーに気を失われた僕は
突然孤独感に苛まれる!
なんたってこいつが気絶するときは、
決まってまわりが大雨か、視界0の深い霧か、
夜中か、雷の真下かなんだから…。

「おいっ!一度でいいから天気の良い日に
気絶してみやがれ!!このバカリーノ!」
なんて独り言を言いながら、
よくパオリーノの湿ったプラグを
サンドペーパーで削ったものだ。
パオリーノは我が家でもアイドルだった。
クリスティーナもマウロも次にパオリーノが
いつ気を失うかが、とても楽しみなようだった。
「全く、こっちの身にもなってよ!」
僕はよく彼らに文句を言ったものだ。
でもこっちが真剣になればなる程、
彼らは楽しんでいるようだった。
マフラーが錆びて落っこちてしまった朝、
物凄い轟音をたてているパオリーノを見て、
さすがにマウロが心配して言った。
「coba、もしおまわりさんに停められて、何故マフラーが
無いか聞かれても、イタリア語が解らないふりをしたほうが
いいよ。騒音違反の罰金は高いからな。」
はたして、数日後にmaranoの町の交差点で僕は
交通巡査に停められて、マウロのアドバイス通り、
イタリア語が全く話せないフリで九死に一生を得た。


後日につづく
2001-09-30 10:00 この記事だけ表示   |  コメント 2
 
何という不思議な月なのだろう…。

月に魅せられた人々は数限りない。
満月の夜は人をエモーショナルにする。
交通事故が激増するのも満月の夜だ。
人が狼に変身できるのも満月の夜だけだ。
「月に憑かれたピエロ」は無心に踊り、
「絵のない絵本」で月が語る人間の話はとても優しい…。

僕が10年前に出したアルバムタイトルは
「シチリアの月の下で」という。
タヴィアーニ兄弟のオムニバス
映画「カオスシチリアーノ」の中の一話、
「瓶(かめ)」からインスパイアされた
イメージだ。
シチリアの幻想的な月の下で、村びとたちが笛に合わせて
広場で踊るシーンが、僕に強烈なイメージを残した。

95年に出した「ROOTS?」では
「過ぎ去りし永遠の日々」という楽曲の
イントロダクションとして、フランス語の朗読を入れた。
月と少女をイメージして作ったその物語は…

フランスのとある田舎街の広場で花を売る少女がいた。
貧しかった街の人々は少女の花を買ってやる余裕もなく、
花はいつも売れ残った。
少女は密かに広場を隔てた向かい側にある
メリーゴーランドの木馬に恋をしていた。
彼女は毎夜、売れ残った花を広場を横切っては
木馬のところに運んでいき、
木馬と静かに会話するのだった。

雨の日も、風の日も…。
それだけが少女の愉しみ。
それだけが少女の生き甲斐。
でも、それだけで充分だった。
月だけがそんな彼女を優しく見守っていた。

ある夜、少女が木馬へと広場を横切ろうとした…その時、
二頭立ての馬車が荒々しく少女の体を飲み込んで、
通り過ぎていった…。
泥酔した馭者は、少女をひき殺したことなどに
気付くわけもなく、
馬車はけたたましく街の暗闇に消えていった。
木馬はさみしく、静かにそれをみていた…。

少女の花はちっとも売れなかったのに、
人々は少女の死を悼み、彼女の墓は人々が供えた花で
一杯になった。

それから随分と時間が経ち、
少女の墓に花をたむける者もいなくなった…。
あの広場に木馬はもういない。
古くなった木馬はお払い箱になったのだ。
月だけが変わらず…今日も優しく…
少女の墓を見守っていた…。
月だけが変わらず、今日も優しく少女の墓を見守っていた。

もう一つの「過ぎ去りし永遠の日々」だ。
2001-09-13 10:00 この記事だけ表示   |  コメント 5
台風15号が昨夜から猛威を振るっている。
(こういう時は何故かワクワクしちゃう…)
「セツアンの善人」は無事に赤坂ACTシアターで
9月4日に初日が開き、7日には
「いつかヴァスコ・ダ・ガマのように」が初日を迎えた。
いつも思うけれど、
舞台というものは何ともまあ荒療治の連続というか、
恐ろしくファジーな行為の繰り返しだ。
(まあ勿論それが人間そのものではあるんだけど…)
そのファジーな作業が魔法を生む。
(生まれない場合も多いけどね)
いずれにしても僕は両方の現場で音楽監督の領域を
遥かに超えてものを言ってしまっている。
(演出家や現場のスタッフや役者さん達は
かなり迷惑に感じている筈だ。ごめんね。
でも黙っていられないんだ。
嫌なら最初から僕を呼ぶなよ…。っていうか、
好きだからこそ言いたくなっちゃうんだな、これが。
…許して下さい………シュン)
僕が敢えて越権行為をする理由はあるんだ。
既存のシステムに尊敬心は持つものの、そのやり方が
絶えずベストな物を生み出すと信じていないから。
長年の経験は思慮深さと盲信を生み、
盲信は埋没と失速の溜め池だ。
日本のショービジネス業界には「餅は餅屋」という考え方が
色濃く残っていて、役割の分担というものに対して
異常なまでのこだわりを持つ。
舞台装置、照明、音響、衣装、小道具、振り付け、
音楽、演出、等など…、
それぞれの専門家たちがそれぞれの持ち場を
しっかりと支えている。…というと大変に聞こえが良いが、
ここに隠されている落とし穴は超大きい!

1995年の初冬…
僕は翌年3月に予定されていたcobaの国内ツアーを
企画している最中だった。
当時、僕の作った会社febbreもまだ2年目、
社員も僅かに2名だけ。
しかも本人はビョークとのワールドツアーで、
ロンドン住まいの状態だった。ツアーの合間の時間は
ロンドンのスタジオをキープして
「techno cabaret」というアルバムを製作していて、
その他にドラマの音楽や何人かのアーティストの
プロデュースも依頼されていたから、
それこそてんてこ舞いの忙しさだった。
そんな中で、8時間の時差がある東京のオフィスと
ツアーの細かいディテール等を詰めて行く作業に
多大な忍耐力と体力を要したことはいうまでもなかった。
そして、その事件は起こった…。

「techno cabaret」のアルバム名の由来は、
もともと持っていたテクノキャバレー公演の構想を、
この当時はアルバムに投影させるしかなかった
という事情と、その時僕が作ろうとしていた音楽と
techno cabaretという言葉に潜む精神性が
一致したからということになるのだろうが…。
まあそれはともかく、そんな訳で、
僕はこのツアーでステージ上にテントを張りたかった。
「テクノ」の持つインダストリアルなニュアンスと、
「キャバレー」の持つヒューマンで少々猥雑な世界観を
繋ぐ(もしくは包み込む)要素としてどうしても
半透明なテントが必要だった。
(或いは「テクノキャバレーの象徴として
絶対にテントが必要だった。」でも良い。)
そのツアーのステージ制作を任せていたS氏は
業界でもかなりのベテランで、
当時日本でも売れっ子制作者のひとりだった。
ところがS氏から出てきたテントの見積り書を見て、
我々は言葉を失った。
当初想定していた金額を遥かに上回っていた。
因にテントに取り付ける電飾代だけでも
彼の見積りは100万円を超えていたのだ。
当然のことながら、僕はオフィスを通じて
彼に如何してそのような金額が出てくるのかを質問した。
ところがこの質問に対する解答が
理解に苦しむものであった。
…曰く、
「ステージ上で使用される布類に関しては消防法を
クリアできるだけの防火性を持たせる必要があり、
その部分をきちんと作っていくとこれだけのコストが
必要なんです。つまりこんなにもコストがかかるのは
複数回の使用に耐えうる強度と、防火性を満たすための
言わば保険料みたいなものと考えてほしいんですね。
電飾に関しては専門の電飾屋に発注すると、通例上
最低このくらいはかかってしまうものですよ。
まあ業界的には常識ですね。」
ではどこまでが布の実費と加工費で、
どこからが防火処理細工費や業者マージンの部分なのかと
聞いても、解答が来ないばかりか
「そういうことは、専門の人間に任せておけばいいんですよ。」
といったニュアンスの返答しか帰ってこない。
僕はすぐに彼への発注をストップさせた。
そして、あまりにもリスクの大きいやり方ではあった
けれど、業者と直での交渉を始めたのだ。
布の素材選びにはその素材の特徴、すなわち柔軟性や
耐久性、耐荷重、光沢、ライトの光をどのくらい通すか、
どの程度燃え易いか等々を良く知らなくてはいけない。
その上で素材と厚さを指定するわけだが、
耐荷重を稼ぐために素材を厚くし過ぎると布が照明を
遮ってしまって使えない。
かといって薄すぎると吊った瞬間にビリッといきかねない。
恐い…全くの手探りだ。
合わせて、どの程度の防火加工が必要なのかを知るために
消防法に関しても調べ始めた。やった事の無いことばかりで
ちっともはかどらないし、何よりも自信がない。
時差と睡眠不足と国際電話とファックスの山…。
しかも悪いことに再びビョークと全米ツアーに出発する日が
来てしまった。再会を喜び合うメンバーとスタッフ達を
尻目に、あれ程重苦しい気分でロンドンの空港を
飛び立ったこともなかった。
ヒューストン、オースチン、サンディエゴ、ロサンゼルス、
サンフランシスコ…とツアーが進む中、
僕のホテルの部屋と東京とのファックスのやりとりは
ますます激しくなっていった。
業者さんとの直接交渉はテクニカルとファイナンシャルの
両面からかなりの困難を極めたが、しかし苦労は確実に
実を結び始めていた…。
どこの業界にも「ワカル」やつは居るものだ。
その業者の担当者も最初は「なんだこのシロウトは!」
という態度だったけど、だんだん僕の作りたいものが
解ってくると、逆に
「ここはこうした方が更に良くなるんじゃないか?
えっ?お金が掛かるんじゃないかだぁ?ばか言え、
ここの部分はサービスだよ!」
と職人気質をむき出しにして取り組んでくれた。
(これだから職人は好きだよ!)
この段階でテント作りに於いてこちらからの要求にも
関わらずS氏のプランでは全く不可能だとされていた
ポイントが少なくとも5、6個はクリアされていたし、
最終的な見積りも何とS氏の3分の1になっていた。
つまり、もし僕が彼とあれ以上続けていたら
「消防法がさあ!」とか「前例が無いからね!」という
業界の売れっ子制作者のありがたいお言葉に遮られて、
自分が作りたいものは永遠に作れず、
しかも3倍以上のお金を貢ぐはめになっていたわけだ。
オー、マイ、ガーッ!!!ふざけるな!!!だ。

大体S氏の御インロウである『消防法』も、
本来「安全に、やりたいことをやる為の法律」な訳で、
決して無理な事を述べてはいない。
それどころか知れば知る程、環境と安全を守るための
利に適った法律だということが見えてくる。
ところがS氏の手にかかるとその
「やりたいことをやる為の法律」はとたんに
「やりたいことをできなくする為の法律」に早変わりだ。
もっとはっきり言ってのけるなら、
S氏自身の不等なマージンを確保する魔法の御インロウが
彼の振りかざす『消防法』に他ならないのだ!
関わる人間によって、
かくも結果が変わってくるものなんだ、人生は。
(この時、ビョークツアーのステージデザインで
参加していた天才!ダニエル!君の存在とアドバイスが
どれだけ不安に震える僕を支えたことか…。
ディア、マイフレンド!!メルシーモナミ!だ。)

さて、そういう訳でその時点でテント本体のメドは
ほぼ付いていたものの、
例の電飾の件がまだ片付いていなかった。
電飾に割けるバジェットは僅か20万円。
テントの前面を電飾で縁取るためには少なくとも
25メートルの電飾が必要だ。
20センチに一個ライトを付けるとして
125個の電球とそれを繋ぐケーブル、そして
それをステージ用に細工してくれるスタッフが必要だ…。
飛行機は次の公演地デンバーに到着したが、
僕の心は暗かった…。
スタッフのひとりが、
ジョン・デンバーの「カントリーロード」を
口笛で吹いていた…。

そして翌日1995年12月7日。
忘れもしないあの日!
アメリカの内陸にある町、
デンバーは朝から降り出した雪で薄化粧していた。
ホテルの隣にあった、なんとかいうショッピングセンター
からは、しきりにクリスマスソングが流れていて、
なんとなく皆浮き浮きして見えた。
昨夜からの国際超長電話と何十枚というファックスの
やりとりでぼーっとした頭を冷やそうと散歩に出た僕は、
ショッピングセンターの前を通り、賑やかな通りを
ゆっくりと歩いていた。
そして、ふと目に飛び込んできたソレに
僕の目は釘付けになった。
クリスマス雑貨を売っているその店のウィンドウに
飾られていたのは、クリスマスツリー用の電飾だった。
それぞれの豆電球には赤と緑のトウガラシ形のカバーが
かぶっていて、可愛いこと!しかも安っぽい点滅をせず、
電球が付きっぱなしになっている。
「これだ!」僕は思わず叫んでいた。
すぐさまホテルに飛んで帰ると、
僕はエレベーターを待ちきれずに階段を2段跳ばしで
駆け上がって、それまでテントの製作や舞台セットに関する
テクニカルなアドバイスを僕にくれていた
(そしてなによりも大親友だった)ダニエルの部屋を
ノックした。
「おーい!ダニエル、起きろ起きろ!起きてくれェ!!!」
「…何ぃ?むにゃむにゃ…。」
「見つけたんだよぉ!凄いライトをさぁ!!」
「あぁそう…そりゃ良かった…じゃおやすみ…。」
「こっ、こらぁ、起きろーっ!」
寝床にもぐり込もうとする彼を無理矢理着替えさせ、
僕らはさっきのショップに向かった。

「うーん、これは使えるかもねぇ。」
「だろう。」
彼のフランス語訛りの英語はまるで東北出身の人と
話しているかのような親密さと安心を感じさせてくれる。
「後はどのくらい熱を持つかだねぇ。」
「熱?」
「うん。熱くなり過ぎるライトだと、本番でコードが
溶けちゃったりするからね。」
「なるほど!どうすりゃいいんだ、ダニエル?」
「coba、とりあえず2、3本買ってみない?」
「OK!分った。」
2.7メーターのそのチリペッパーライトを
3本買って僕らは部屋に戻った。

時刻もぼちぼちサウンドチェックのために会場に向かう
お迎えの車が到着する頃だ。
「cobaさぁ、それを暫くつけっぱなしにしておいてごらん。
で、サウンドチェックから戻ってきて
それほど熱くなっていないようならOKだから、
残りの分を全部買いに行ったらどう?」
「よし、わかった。」
僕は3x2.7メーターを直列につなぎ、部屋を後にした。

そして2時間後…。
ふたたび部屋に戻って、
けなげに光り続けるそのライトにそっと触れてみた。
熱を持つどころかとっても冷静にそいつは自分の命を
燃やし続けていた…。クールな奴だった。
「よしっ!」
僕は急いで表に飛び出すと、
例の店に向かって一気に走り出した。
店のお兄ちゃんが相変わらずのパンクファッションで
陽気に出迎えてくれる。
「ハーイ!また来たね。」
「ああ。さっき買ったチリペッパーライトが気に入ってね。」
「そうかい。それは良かった。」
「あと20個くれないか?」
「な、なに?20個?ここに今ある在庫はあと1個だけだよ。」
「どうしても必要なんだ。今すぐ問屋に電話したら、
いつ入るんだ?」
「うーん、2、3日かな?」
「だめだ!!明日の朝デンバーを発つんだ。
もうここには2度と戻って来ないんだ!
今日中にどうしても必要なんだよ!!!」
「明日発つ?旅の途中なのか。
お前もしかしてミュージシャンか?ツアー中?
なんて言うバンドだい?」
なかなか勘の良いこのパンクなお兄ちゃんに、
今晩中にチリペッパーライトを仕入れさせる為だったら
その時の僕は何でもしただろう…。
はたして彼はビョークの大ファンで、
僕がこれから彼女のライブに出演することを告げると、
目の色が変わった。
そこで僕の腕の見せ所だ…。
「あのさあ…もし今晩中に20個のチリペッパーライトを
仕入れてくれると約束してくれるなら今夜のライブに
招待するよ。そうだ、楽屋へのパスをあげてもいい。」
「えっ!!!!!ほっ、本当かっ!?」
「ああ、本当だ。だが楽屋に来た時にライトを持って
来なかったら…分かってるよな…。
ガードに言ってつまみ出すぞ。」
「わ、わ、わ、分かった。チリペッパーライト20個だな。」
「お前、名前は?」
「ジョージ…。あっ、あのっ、
ライブのインビテーション忘れるなよな…絶対に。」
(意外に気弱な奴だ。パンクな奴等にはいい奴と気弱な奴が多い。)
「心配するなジョージ。招待受け付けでcobaの友人の
ジョージだ、と言え。話は通しとくよ。」
「わ、分かった。やってみるよ。」
ジョージは慌てて受話器を取り、あちこちに
てんてこ舞いで電話をかけ始めた。

「がんばれよ!ジョージ。(頼むよぉぉぉ!)」

いつも通りライブが始まり、
数万人の客の歓声に僕らはしばし現実を忘れた…。

「cobaの友人のジョージっていう奴が来てるけど、
どうする?」
ライブ終了後に、身長が2メーターはあろうかと思われる
セキュリティの黒人が楽屋にやってきて言った。
急いでアーティストエントランスに行ってみると、
パンクファッションのジョージが馬鹿デカイ紙袋を
2つ抱えて立っていた。
事情を知って心配してくれていたダニエルも
ちょうど出てきて、「ウー!セ・テクセローン!」
(すーんばらしいー!)なんて言ってる。
ジョージは何故か泣きそうな顔で、
「coba、チリペッパー20個お待ちどおさま。」
と言ってる。
「ジョージ!ありがとう!!約束守ってくれて…。
で、ライブは見られたのかい?」
「うん…。最後の2曲だけ…。」
なんでも、どこを探しても同じライトのモデルが無くて、
自分の車を2時間飛ばして郊外のストックハウスまで
買いに行ってくれたのだそうだ。その為、ライブの時間に
全然間に合わず、アンコールの2曲しか聴けなかったらしい。
僕はこの男を抱きしめてやりたい衝動に駆られた。
「ジョージ、もし良かったら、
これから僕の部屋で飲まないか?」
「え、いいのかい?」
楽屋にあったシャンパンとワイン、それから
アメリカツアーならではのバドワイザーをしこたま抱えて
僕らは部屋に戻り、ジョージの持ってきてくれた赤と緑の
チリペッパーライトを全部直列に繋いだ。
計50メーターを超える長大なチリペッパーライトは、
けっこう広めだったアメリカンデラックスツインの
僕の部屋を埋めつくした。
ダニエルが部屋の電気を消し、僕が一番端のコンセントを
電源に差し込むと……。

……すると……彼らは一斉にかがやいた………。

僕はこの夜の部屋の輝きを一生忘れない。

感激の中でシャンパンを開けようとしていると、
部屋のベルが鳴った。
「cobaの部屋でクリスマスパーティーをやってるんですって?」
いい感じに酔っぱらったビョークとメンバー達が
さらに酒と料理を持ってやって来た。
「うわあー綺麗!!!」と、われらが歌姫。
ふらふらと部屋に入ってくる。
「こらあ!お前らぁ!踏むんじゃない!!!
僕とジョージが命を賭けたチリペッパーライトだぞ!!!
なぁジョージ!」
当のジョージは、始めて間近にいるビョークに、
口を半開きにしてうっとりと見とれていた…。

「ばか!しっかりしろジョージ!!
お前は俺のヒーローなんだぜ!!!」
「…………。」

僕らは夜が明けるまで飲み続け、
チリペッパーライトたちも相変わらずクールに
夜通し輝き続けた………。
かくして、翌3月のcobaツアーのステージ上で
僕達の友情のチリペッパーライトは見事に輝いた。
消防法に違反する事も、ましてや
熱を持って溶けてしまうこともなく…。

…あれから5年…2001年。
コストの話をしていなかったけど、
あのチリペッパーライトは1個6ドル50セント。
僕が買ったのは23個だから、締めて150ドル。
日本円で約1万6千円。デンバーのホテルからそれを
フェデックスで日本に送った代金が確か7、8千円で、
計2万4千円。いずれにしても当初の予算20万円は
遥かに下回った。
(勿論、S氏の100万円は言うに及ばず。
ホント、人間って不思議…。)

まもなく今年のcoba全国ツアーが始まるが、
ここでもこのチリペッパーライトは大活躍する予定だ。
ジョージと僕の思い出を灯しながら…。
2001-09-11 10:00 この記事だけ表示   |  コメント 5